『日経ものづくり』 “開発の鉄人”コーナーの連載を持つ多喜義彦先生に、ガクセンに参画する株式会社ゲイトを特別インタビューしていただきました。
比較的若い経営者が事業を多角化し、居酒屋やカフェ、マッサージ店等を複数経営しているという話はよくある。一つの業態で少し儲けたから、次の業態に手を出すというパターンが多いようだが、それぞれが着実に業績を伸ばしている事例は少ないようだ。
その理由は、しっかりとしたポリシーというか戦略が無いからだ。儲けたお金があるから、取り敢えずやってみるか、そんな安易な気持ちで始めても、同業がひしめく中で競争に勝てるはずは無いし、生き残ることすら出来ないだろう。
そんな経営者が多い中で、それぞれの事業を着実に伸ばし、また、そこで働く人がこれだけイキイキと働いている会社も珍しい。最近のブラックと言われている会社に聞かせたい話だが、この会社は株式会社ゲイトと言い、五月女圭一社長が総勢200名を引っ張っている。
その五月女社長、新しい事業を興すときは自然体で臨むと言う。新しい事業を興すきっかけは、そこに至る過程にドラマがあり、そのドラマで学んだ経験を必然に結び付けると言うのである。何やら哲学的な話だが、よく聞くと、思わず ”なるほど” と唸ってしまうのだ。
自然の流れに逆らわず、決して無理をせず、必然性が見えたら全力で取り組む。そこには、業界の常識を無視する大胆な視点もあれば、細かいところに目が届く繊細さもある。言い換えれば上下も無く左右も無い、まさに自然体。鉄人は、これを無重力経営と呼ぶことにした。
波乱万丈
ゲイトの五月女社長の人生を一口で語るなら、まさに波乱万丈と言える。波乱万丈とは、その人の人生が劇的な変化に富んでいる事であるが、私はこの言葉を使う時に一つの条件を付けている。それは、その人の歩んだ劇的な人生の実例を、読む方の参考にして欲しいと考えるときである。
何故こんな事を言うかと、それは、確かに波乱万丈の人はいるのだが、どうも、上手く行っていないケースが多いからだ。もっと言えば、自らが切り拓いた波乱万丈ではなく、成り行きで波乱万丈になっているのが多いと思うのである。
失礼な言い方だが、波乱万丈の事例を見ると、劇的な変化が続くと、大抵は挫けたり止まったり、横道に逸れたり、要するに、波乱万丈の結果が上手く行っていない方が多いのである。
それだけ、人間と言うのは強くはないという事だが、五月女社長の話を聞くと、何とこの人は強いのだろう、と思うのだ。
18歳で学習塾
最初の劇的変化、つまり、普通の人では体験しないことが、学生の身でありながら18歳で学習塾を始めたというのだから、やはりタダモノではない。いまなら学生ベンチャーと言ってもいいだろうが、これも必然だったようだ。
五月女社長の育った地域は東京の下町で、戦後、焼野原から急成長した錦糸町だ。今では、商業や工業、サービス業が密集している、まさに大都会の繁華街である。当時より住職接近、児童や学生が多く、大学進学を目指した中高生の密度が高かったのである。
そのような、地域の特性に目を付けて成功する中で、次の劇的変化が待っていた。それが、高度経済成長期のバブルの前兆である、ビルの建設ラッシュである。当然、五月女社長の生家も、それまで営んでいた町工場を閉鎖して貸しビル業に転身した。
初めは上手く行っていたのが、直ぐに空き部屋が多くなり、やがて借金が重くのしかかる。失礼な言い方だが、まさに、絵に描いたようなバブル崩壊であった。
銀行はプロではない
ここで五月女社長の天才的な事業勘が冴える。当時、貸し付けた銀行は、とにかくテナントを探せ、空き部屋を無くせと言うばかり。ビルのオーナー側の都合など、一切考えてはくれない。借り手は、全く稼げないマイナスの物件を持たされながら、青息吐息で頑張っているのである。しかも、少しばかりの賃料が入っても、それは営業利益であるから、税金を払いながら返済するという、まさに手かせ足かせを引きずりながらの返済なのである。
銀行の言いなりになっていては何も出来ない。却って借金が膨らむだけだ。何より銀行は貸金業で事業のプロではない。そう考えた五月女社長は、自らのアイデアで難関を乗り越えようと考えたのだ。
五月女社長が打った手は、ビルの空き部屋に会社を作り、様々な事業(紙面の都合で割愛する)を展開し、あげた事業収益で借入金を返済したのである。
これなら、テナントから貰う賃料ではないので、収支を上手くバランスさせながら返済することが出来、何と、わずか二年で健全経営にしたと言う。この時26歳。並みの経営感覚ではない。
更に波乱が襲う
さあこれから、ビル経営を独自の手法で健全化して、次の新しい事業を探そうと考えた五月女社長、普通のサラリーマンの経験も必要と、ある企画会社に入社した。当時、飛ぶ鳥を落とすほどの勢いとも言える会社で、急成長の中で広く求人をしていたのである。
そこでも、アッサリと五月女社長は頭角を現す。並みの経験ではないバックボーンがあるのだから、当然と言えば当然のこと、誰もが出世頭と一目を置く存在になったのだ。
ところが、である。今度の波乱は身体の内から始まった。徹夜徹夜の連続で、心身ともに、大きなダメージを受けていたのである。何も食べることが出来なくなり、何をする気も失せて、毎日毎日「死にたい」と思う気持ちが強くなる。
鉄人が聞いても目に浮かぶようだ。自殺願望が深まる中で、自宅療養という、世捨て人のような生活が続き、まさに、生き地獄と言っていいほど、心も体も荒れ果てたのである。
それでも事業欲
五月女社長が言うには、当時、いつも死にたいと思っていたらしい。しかし、きっと気持ちのどこかでもう一度事業をしたいと考えていたに違いない。それが五月女社長のDNAだ。無意識の内に、治ったら、あれをやろうこうしたいと考えていたのである。
32歳のとき、劇的に回復した五月女社長、早速興した事業が鍼灸マッサージである。自らは資格が無いので、資格者を募集して開業したのである。療養中に、何故、もっと患者のことを考えてくれないのかとの想いから、ならば自分で医療関係の仕事をしようと立ち上げたのである。
これも、必然と言えまいか。自身の経験から、もっとよくしよう、もっと多くの人にサービスをしようと事業化したのだから、まさに自然体であり必然なのである。
そこに至る過程にドラマがあり、そのドラマで学んだ経験を必然に結び付けると、最初に言ったこと、そのものなのだ。
客と一緒に開業
居酒屋を興したのも必然だ。あるとき、居酒屋の経営者から相談を受けたという。
一所懸命にやって来たが、どうも立地が悪いらしい。馴染みの客もいるのだが、これ以上増えないだろうから、もう廃業したい。どうしたらいいだろうか、といった相談だった。
ここで五月女社長の自然体が利くのである。少なくても客がいるのなら、その客と一緒になってお店作りをすればよいではないか、そう考えたのである。
居抜き(店の中の什器備品などをそのまま受け継ぐこと)で借りたお店で、客と一緒にメニューを考え、同好会のようなノリで再開業したのである。
客も、自分で考えたメニューがあるし、口添えした手柄を見せたい願望もあり、友人や知人を誘って来てくれる。始めた時から、当てになる馴染み(なじみ)客がいるという事なのだ。
無重力経営
こうして、諦めかけた居酒屋を次々に再生し、皆のチカラで活性化している五月女社長の経営手法は、まさに無重力経営と言える。
宇宙空間が無重力であることはご承知だろうが、私の言う無重力とは、何にも拘らす、何にも影響されす、何の負荷も無い事である。
経営だから、何かの力(重力)に影響されるだろうと言われるかもしれないが、空間の中で、見掛けの無重力状態を演出することは出来る。
要するにバランスなのである。無理をせず、上下も無く左右も無い関係を築くことが、フワフワと居心地のよい空間を醸し出す。
それが、五月女流の無重力経営なのである。
会談の最後に私は訊いた。「社長と会社の将来はどうなりますか」。
答えは痛快。「先が見えてたまるか。ですよ」。
それはそうだ。宇宙空間は無限大である。
五月女社長の無重力経営も、無限大に続くのだ。
時間、空間、楽しさ、喜びを創造するサービス業。
その手段として、居酒屋、カフェ、リラクゼーションなどストアービジネスを展開。
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