開発の鉄人、吉川グループに行く「錆びない会社」|ガクセン - 優秀な学生を検索して採用するサイト

開発の鉄人 多喜 義彦による企業特別インタビュー モノからコトへ」を堅実に実践 産業界に彩りを提供し、業界を牽引する「産業用色彩情報企業」

『日経ものづくり』 “開発の鉄人”コーナーの連載を持つ多喜義彦先生に、ガクセンに参画する吉川グループを特別インタビューしていただきました。

開発の鉄人 吉川グループに行く「錆びない会社」

 新潟県西蒲原郡弥彦村。燕市や三条市に隣接したこの村に、知る人ぞ知る吉川グループという会社がある。この会社、一度は消えかかった、この地域のものづくりの灯を再び点灯し、しかも世界に向けて飛躍させた会社なのだ。

 燕三条と言えば、今はものづくりで有名な地域であるが、元々は江戸時代から和釘や銅器、キセルやヤスリなどの産地であった。キセルが解る若い人はもういないと思うが、ヤスリも同様に、今は国内でつくっているところは殆ど無いのが現状だ。その消えた産業を、吉川グループはステンレスという新しい材料を扱うことで復活させた。それも、それまで日本人には馴染みの無かったナイフやフォークという洋食器を開発し、世界中に輸出したのである。

 敗戦後、我が国の輸出産業を復興し、その一角を支えたのが洋食器である。それもステンレスという新しい材料を使って商品を開発し、しかも世界に向けて果敢に挑戦した吉川グループは、創業が1912年と言うから、創業100年を超えた老舗である。

 その老舗企業だが、多くの企業の現実は厳しいと言わざるを得ない。過去の成功が嘘のように、衰退に歯止めが掛からない企業は多いのだ。まるで、もう稼働していない機械のように、会社全体も錆びついているようだ。しかし吉川グループは、これだけ歴史があるのに、錆びつくどころか、今でもピカピカに輝いている。

ステンレスは特殊金属

 今では、ステンレスという金属は珍しい材料ではない。しかし、第二次大戦中は特殊な金属であり、軍需物資として厳しく管理され、民需で使われることはほとんど無かった貴重品であった。それが敗戦後、軍需から民需に産業構造が変わり、国も積極的にステンレスの生産を支援したのである。その、第一号とも言えるステンレス専門メーカーの工場が、その名もズバリ、日本ステンレスである。

 それまで、専ら軍需産業を担っていた同社は、戦後、ステンレスを外販することも可能になったのだが、肝心の、ステンレスを買って商品開発をする企業はなかなか現れない。それはそうだ。それまでキセルや大工道具しか作っていなかった、この地域のメーカーは、ステンレスに興味がないどころか、それまでの商品が消えて行くことの恐怖に怯えるだけで、誰も、このステンレスで産業を興そうなどとは考えなかったのである。

ステンレスで食器をつくる

 しかし、それまで他のメーカーと同じように、キセルや大工道具を扱っていた先代の吉川雪松社長は、このステンレスに飛びついた。

 キセルなどには未来はないが、このステンレスという材料には、輝く未来がある。しかも、今までの加工技術では思うようにならない材料なら、加工技術も開発すればよいではないかと、本来の開発魂に火が点いたのだ。どうしたら、ステンレスを曲げたり絞ったり出来るのか、ステンレスの加工技術を開発しようと、果敢に挑戦したのである。しかし、ステンレスを加工する技術開発も困難であったが、何より、ステンレスで何をつくるか、それが一番難しい問題だ。

 ここで、雪松の直感が冴えた。それまで、銀や錫でつくっていた洋食器、それをステンレスでつくろうと思い付いたのである。世界で誰もやったことのないステンレス食器の開発をしようと、先ずは世界中の洋食器の販売事業者を訪ね歩き、ステンレス製洋食器を売り込んだのである。

 最初は洋食文化の無い日本人がつくる食器、それもステンレス製の食器に拒否反応を示した海外事業者も、しばらくすると、雪松のひたむきな姿勢とその品質の良さに共感するようになる。そうして、吉川グループのステンレス製洋食器は、爆発的に欧米、特にアメリカに輸出されるようになったのである。

耐えた時代

 それから、吉川グループは食器は勿論、鍋や釜、ザル、ボールなど、いわゆるキッチンツールのほとんどすべてをステンレスでつくり、およそ十年、それ行けドンドンという状態で輸出された。しかし、突然、アメリカ政府が動いた。自国の洋食器メーカーを保護しようと、ステンレス製洋食器の輸入規制を発動したのである。

 普通の会社なら、ここで絶望するに違いない。しかし、吉川グループはくよくよしない会社である。アメリカが駄目ならカナダやヨーロッパがあるではないかと、雪松の後を継いだ嘉之社長は考えた。売り込み先をカナダや欧州にシフトして、アメリカの穴を見事に埋めたのである。しかし、今度はそれ行けドンドンとは行かなかった。何と、自社工場で火災が発生したのである。奈落に落ちるとはこのことか、誰もがそう思ったが、嘉之は慌てなかった。出来ることから再興しよう、いただく仕事は何でもしよう、ここは耐えるしかないと、先代からの教えを想い出したと言う。

温克

 それが、温克である。温克とは、人に優しく自らに厳しくするという、古来からの教えであるが、まさに嘉之は、その教えに忠実だった。従来からの製品を見直し、消費者のニーズに直結する、言わば、お客様目線での商品開発を徹底したのである。

 それは、製品を使うお客様、つまり、主婦や料理人の意見を徹底的に聴くことから始めることだった。作り手の想いではなく、使い手の想いを優しく飽きずに聴けば、必ずヒット商品になると、嘉之はそう考えたのだ。それが、グッドデザイン賞にもなったクックパルシリーズである。そして、このクックパルシリーズが現在の吉川グループの屋台骨を支える一つになっているのである。

 吉川グループの開発の歴史は、まさに、優しくお客様に接し、自らを厳しく鍛えて開発する、温克の精神で支えられているのである。

実現屋

 現在の力(つとむ)社長は、創業者の権太郎から数えて四代目である。その力の名刺に「実現屋」と刷り込んであるので聞いてみた。一体、実現屋とは何のことだろうか。「実は、それを聞いてもらうのが一番嬉しいのです」と、ニコニコしながら言う力は、まさに、それが狙いなのだろう。聞けば、本当に会社組織として実現屋事業部があると言う。それは、生産する製品や材料ごとに事業・組織を括るより、とにかくお客様のニーズに素直に対応する、つまり、お客様の欲しいものを実現することに注力する事業・組織が大切であるということだ。だから、とにかくお客様が欲しいと言えば、それを実現する為に全力で取り組む実現屋事業部と言う名称にしたのである。

 いま、ステンレスを特殊金属と言う者はいない。しかし、かつてステンレスは、錆びないゆえに、軍備の最先端に欠かせないハイテク材料であったのだ。そうして見ると、錆びないということは、ものづくりに欠かせない機能であり、それは経営にも当てはまる大事なことである。錆びないステンレスを扱う吉川グループは、お客様の「欲しい」を実現しながら、今までも、これからも、ずっと錆びない会社に違いない。

吉川金属株式会社

会社写真 丸棒など、ステンレス鋼材であれば何でも取り扱う。
ステンレスの中でも特殊な材質、高純度フェライト系、耐熱、高耐食、
高加工性のステンレスを在庫している。

本社・第一工場 :新潟県燕市吉田法花堂1961
ホームページ http://www.yoshikawa-group.co.jp/kinzoku/

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