現状変化と苦手意識のあった英語を
克服するために留学し、自分を変える

母親と起業し裏方として支えつつ、シンガポールに本社を置く
イベントやPRを中心としたベンチャー企業でインターンを行う。

慶應義塾大学 総合政策学部

赤木 円香

氏名
赤木 円香(あかぎ まどか)

学校名
慶應義塾大学

学部/学科
総合政策学部

学年
卒業生

卒業年
2017卒

志望業種・業界
IT・ソフトウェア・情報処理
サービス・インフラ
メーカー
広告・通信・マスコミ
銀行・証券・保険・金融

志望職種
営業系
販売系

出身
東京都

希望勤務地
どこでもOK!

学生団体
Youth Act

タイプ

リーダー型

知識収集型

クリエイティブ型

ボランティア型

リーダー経験あり営業経験あり英語話せます

苦手と向き合い留学へ

大学入学後、先輩と一緒にYoth Actという団体を立ち上げました。

Youth Act

運営部長として活動し、最初はメンバーが7名でしたが、半年で100名のメンバーを集めました。春と秋に3チームに分かれノルマを作りメンバーを集めたのです。春、私のチームは、3人中2名が地方出身者で、友人が少ない時期でした。そこで、毎日三人でミーティングを行い、毎日集客のノルマを決め、他のチームが10名前後だったところを45名のメンバーを集めたのです。秋には、私自身はリスクベッジとして自ら東大と一橋大学へ行き、集客しました。その結果、設立3週間で67名、設立半年で100名の団体へと成長します。その後、団体を下の代に引き継ぎました。
そして、自分のコンプレックスにもなっていた英語と向き合おうと決めました。私は、英語を書くこと話すことが全くできなかったのです。大学入学当初は、英語へのコンプレックスを抱きつつも、他で補えばいいという甘えがありました。しかし、英語ができないことによって、見えていない大きな世界があると危機感を覚え、逃げてはいられないと思うようになりました。団体の活動もなくなり、周囲が落ち着いた頃に、ある時フッと「自分の本当にやりたいことはなんなのだろう」と思いました。自分の中で確固たるものがなくなってしまっていることに気づきます。その時に、環境を変えようと思い留学を決意しました。私費留学だったため、親を説得することは大変でしたが、最後には背中を押してくれたのです。そして、大学を休学し、オレゴン州へと留学しました。周囲には、本当にその英語力で行くのか?と心配されましたし、私自身もとても不安でした。しかし、オレゴンに降り立つとその気持ちはなくなりました。現地では、「Hello」以外は本当に話せないような英語レベルでしたが、「I’m Madoka from Japan」という日本にいた頃の肩書やイメージが一切取り払われる環境は、自分の肩の荷がスッとおり自分を取り繕うことを辞めるきっかけにもなったのです。同時に、英語が上手でなくても友達ができたことで、自分のコミュニケーション能力に自信が持てました。
 

勉強とホストファミリーのディスカッションで英語を克服

しかし、学校でクラス分けがあった時に下から3つ目の三人称単数などの基礎からスタートするクラスになってしまいました。「分かるよ!!」と思っていたことも細かいミスなどがあり、悔しいと感じます。そして、日本人とは会話をしないようにして、中学時代1日15時間受験勉強に励んだ以来の勉強をしました。また、ホストファミリーにも恵まれたのです。私以外にも留学生が数名おり、とても国際色豊かな環境だったのです。夕飯時には、壁に貼ってある世界地図を見ながらディスカッションをしていました。最初の頃は、何も話すことができませんでしたが、最後には国を超えて笑い合ったり喧嘩し合えたりできるほど話せるようになったのです。最初ホームステイは、3ヶ月の予定でしたが、ホストファミリーが好きだったこと、勉強になったこともあり更に3ヶ月延長してもらいました。その後、3ヶ月間寮生活も経験し、さまざまな国の友人たちと出会うことができたのです。退寮前夜には、国を超えた女子会を開催し、皆で盛り上がることができました。帰国後もホストファミリーや友人たちと連絡を取っており、実際に友人の国まで遊びに行くこと、友人が日本に来てくれることもあります。英語ができるようになり、自分が長い間抱えていたコンプレックスの克服もできました。

インターンでロールモデルに出会う

帰国後は、Vivid Creationsで2ヶ月インターンをしていました。

Vivid Creations

留学して数ヶ月した時に「”Work to live” 生きるために働く 」か「”Live to Work” 働くために生きるのか」ということが自分の中で議題になりました。ホストファミリーが「生きるために働く」家庭だったのです。しかし、私はそこに憧れもあるけれど、そうはなれないと思いました。そして、生きがいになる仕事を見つけたいと思ったのです。日本のアイデンティティを持った人としてグローバルに生きようと決め「シンガポールに行こう」と決意しました。
そんな時、日本人で一念発起して突然シンガポールに渡り起業した一人の女性起業家の存在を知りました。その時「この人に会いたい。この人の下で働きたい」と直感が働き、インターンに応募しました。当時は、まだまだ英語が流暢とは言えず不安でしたが、パワーポイント10枚以上でまとめた分厚い履歴書を送り、Skype面接をパスし、なんとか採用してもらいました。インターンは帰国後からシンガポール本社でスタートする予定でした。しかし、出発数日前に、家庭の事情から、インターンに行くことができなくなってしまったのです。それまでのやり取りなどから信頼して頂き、事情を説明した上で新しく立ち上げることになった東京オフィスでインターンをさせて頂けることになりました。実際に社長にもお会いして仕事をするようになります。素晴らしい人で、自分の中で社長がロールモデルとなったのです。また、実際に仕事をする中で社長から「現地に行こう」と出張でシンガポールに行けることになりました。現地で、実際のイベント企画・運営に関わる中で、シンガポールならではの熱気とダイバシティを感じました。あの当時、シンガポールに連れて行ってくれた社長には感謝してもしきれません。
 

自分自身を見つめなおし、いい意味で削ぎ落とされる

留学で、英語を克服するだけでなく、価値観の変化や自分と向き合い自分を知ることができました。米国留学とシンガポールでのインターンを通して、自分の将来をグローバルベースで捉え、考えられるようになりました。さまざまな経験を通したことで、人から「落ち着いた」や「エッジがきいてない」と言われるようになりました。しかし、それまで持っていた向上心や野心を失ったわけではありません。自分自身の中で見えてきた部分があり、いい意味で削ぎ落とされたのだと思います。何がしたいのか?に素直に向き合い、やりたいことができる環境を見つけそこに飛び込めるようになりました。フラットに付き合える同年代の友人も増えましたし、これまで以上に人との縁を大切にして、次に繋げるようになりました。
 

母親の起業を裏方として、支える

現在は、復学し大学に行きながらも母が起業した会社を手伝っています。

Alles Gute

私の20歳の誕生日に登記をしました。留学前から手伝っていますが、あくまでも裏方として仕事をしています。留学前にホームページやテキスト、営業資料などを全て作成していきました。留学中は相談をされる程度だったのです。帰国後は、留学前と同じように裏方として仕事をしています。軌道に乗りつつあり、母親が楽しそうに仕事をしている姿を見てとても嬉しいです。上場させることを目標に頑張っています。
 

人がキラキラと輝けるように支援したい

私は、幼い頃から母が仕事をする姿を見て育ちました。起業などを経験し「実際に仕事をしながら家事・子育てをすることは大変だ」と思います。しかし、母はいつもとても楽しそうに仕事をしていて、キラキラと輝いています。自分が好きなことをしている人はとてもキラキラしているのです。そのため、その人たちを支援したり、発信したりする仕事がしたいと思っています。それが人材なのかPRやイベント発信などの仕事かは迷いがあります。しかし、将来的には、人がキラキラと輝いていられるよう支援して、いつかは起業したいとも思っています。

[インタビュー日:2015年5月]

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